プロブロガーは現代の隠者である

著名ブログ「らふらく^^」のタクスズキさんに、このブログの内容についてコメントをいただきました。ありがとうございます。

プロブロガーは隠居的

スズキさんも共感してくださっていますが、ブログを収入の中心として生活している、いわゆるプロブロガーには、隠居的な性格を持っている人は結構いらっしゃると思うんですよね。

これまでの記事でも、自分の特徴を起点に「こういう人は隠居に向いている」という内容の記事を書いてきましたが、

趣味に没頭できる
凝り性・知りたがり
孤独を楽しめる

なんかはまさにプロブロガーの人たちに共通する特徴ではないかと思います。

まだまだある、プロブロガーが隠者に近い理由

そしてプロブロガーには、まだまだ隠居的な特徴があります。

時間から解放されている

隠居は時間からの解放が主目的だからね。—『隠居宣言』横尾忠則

プロブロガーは、基本的に自分の好きな時間に記事を書いています。

毎日決まった時間に記事を書く人でも、その時間帯は自分で決めたものですよね。

その意味で、まず解放から解放されています。

労働が趣味の延長である

なまけて遊ぶことは都会隠居の第一要件ではあるけれども、遊んでばかりいては勉強のひまもない。そこで真面目に働くときは「道楽をするのと同じように」働くのである。これは隠居のダンディズムというものなのだ。—『大都会隠居術』荒俣宏

プロブロガーは本当に書くこと、表現することが大好きですよね。

その意味では、ブログを書いていることが趣味の領域に達しています。

かつそれでお金を稼いでしまっているため、「働くときは道楽をするのと同じように働く」という隠居のダンディズムを備えていることになります。

自分が自分の法則の主人公である

Q.隠居の面白さ、魅力は何ですか?

A.自分が自分の法則の主人公になれるってことだなあ。

—『隠居宣言』横尾忠則

もちろん多く読まれる記事を書くということを意識されていると思いますが、プロブロガーはそれを上回る情熱、特に自分の「これを書きたい!」という情熱をもとに書いています

その意味では、誰かのために、というよりも、自分のためにブログを書いているといえます。

通勤や会社の規則もないので、場所やルールからも比較的自由です。住む場所や働く時間も自由に選べます。

このように、自分が主体的にいろんな物事を選び、決定できるプロブロガーの環境は、とても隠者に近いです。

 

プロブロガーという現代の隠者たち

まだまだ理由はあるのですが、こうやって書いていくとプロブロガーは隠者の性質をかなり持っているといえそうです。

うらやましい!

ぼくも早く現代の隠者に近づきたいです。

 

 

20代のぼくが隠居を目指すようになった理由その5:執着するものがなくなった

執着するものがなくなった

最近、執着するものがなくなっちゃったんですよね。

これまでやりたいと思ったことはある程度納得するまでやってきました。

スポーツに関しては、昔は「何かの大会で優勝するまでやめない」という目標を持っていましたが、それは達成できたので、もう思い残すことはあまりありません。

研究ではずっと本を書いてみたいという欲望があったのですが、実は現在共著の本を執筆中で、それも間もなく完成します。

そのため、現時点では「生きているうちにどうしてもこれをやってみたい!」と思えることがそこまでない状態なんですよね。

もちろん「美味しいものを食べたい」だとか「世界の絶景を心ゆくまで堪能したい」とかいろいろ欲望はありますが、「これを実現するまでは死ねない!」というレベルのものではないんですよね。

こんなことを書くと怒られそうですが、明日もし寿命がくるとしたら、案外すんなり受け容れられてしまうのではないかと思います。

「隠居」が最後の執着かも

最後にひとつ達成したいことがあるとすれば、このブログの主旨でもある「隠居したい」ということでしょうか。

社会的な制約から逃れ、気の赴くままに自由に暮らしたい。

十分に趣味や興味を満たしたい。

単なる若造のわがままかもしれませんが、これが本心なのだから仕方ありません。

ただ、とても時間のかかる目標

でも、これってものすごく高い目標だと思うんですよね。

隠居するには金銭的なハードルや社会的なハードルなど、越えなければいけない壁が無数に存在します。

それをひとつひとつ越えていかなければなりません。

そのためには長い期間と周到な準備が必要だと思うんですよね。

ぼくにとっては、スポーツの優勝などの方がよほど簡単なように思えます。

なので20代の今から、隠居に向けて粛々と準備したいと思います。

 

20代のぼくが隠居を目指すようになった理由その4:ひとりでいるのが好き

シリーズ第4弾です。

ひとりでいるのが好き

基本的にひとりでいるのが好きなんですよね。

休日もひとりでいても全然苦になりません。

ひとり遊びは得意な方ですし、読書やサイクリングやキャンプなど興味の幅は広い方なので、ひとりでもあまり暇しません。

 

飲み会もとても仲のいい友達と行く以外は好きじゃないので、行く飲み会はかなり厳選します。

前の記事にも書いた通り身体も強い方じゃないので、自分を守るためにも夜はなるべく出歩かないようにしています。

孤独を楽しめる人は隠居向き

「孤独を楽しめるか」は隠居を目指す上でとても重要な要素だと言えます。

『大都会隠居術』の中に載っている谷崎潤一郎の短編の解説にもこうあります。

都会の隠居となって、雑踏のちまたを軽やかに、しかしあくまでも実在感をふりまかずに生きてゆくためには、<孤独>を愛することのできる精神の強靭振りを備えなければならぬ。

これは考えてみればそうで、老人になれば、周りの友人や家族が亡くなったり、自分が出かける体力や元気がなくなったりと、自然と孤独になる確率が高まります。

そうなったときにでも暗くならず楽しく暮らすためには、ひとりの時間を楽しめる能力が必要です。

これは「逃げること」にもつながっていますが、趣味や好きなことに没頭し、ひとりの時間を楽しめる能力、それこそが隠者に求められる能力のひとつと言えそうです。

 

若いうちから「ひとり遊び」の方法を知っておこう

でもひとり遊びを楽しめるようになるには、ある程度の「準備期間」が必要です。

これはぼくの実体験でもそうなのですが、特に大学生くらいまでは、家でひとりで遊んでいることが不安でした。

友達同士が遊んでいる中、自分だけが家にひとりでいるということで、仲間はずれになっているんじゃないかとか、自分よりも他の友達同士が仲良くなったらどうしようとか、そんなことばかり考えてしまって全然楽しめなかったんですよね。

 

でも自然とひとりで遊ぶことが増えて、その時間を楽しめるようになると、そんなことが全然怖くなくなりました。

むしろ多くの人と日程調整をしたりとか、待ち合わせ場所を決めたりとかの方が面倒になってしまったんですよね。

今は自由気ままにどこかに行ったり、気の赴くまま時間を過ごすことが快適で仕方ないです。

 

というわけで、ひとり遊びには練習が必要です。

「じゃあどうやったらひとり遊びができるようになるの?」というご指摘には、別の記事でお答えしたいと思います。

ひとり遊びの能力を若いうちから育てて、いざ隠居できる状態になったときに困らないようにしたいものです。

 

20代のぼくが隠居を目指すようになった理由その3:身体が弱い

身体が弱い

ぼくは結構身体が弱いです。

風邪をよくひくとか病気をよくするとか、そういった類いのものではないのですが、神経質なところからくる弱さがあるんですよね。

寝るときは明るいと寝れないので遮光カーテンですし、それでも漏れてくる光が気になるときはアイマスクをして寝ます。

関東に住んでいて、冬は空気が乾燥するので、夜はマスクをして寝ます。

これは一例ですが、結構身体には気を遣う方だと思います。

難病が隠居への思いを強くした

去年の8月にはメニエール病という難病を発症し、会社で2時間トイレに引きこもって吐き続け、そのまま病院に連行されるというエクストリーム体験をしました。

現在は運動を再開したこともあって症状は落ち着いているのですが、この体験は自分の生活の在り方を改めて考えるいいきっかけになりました。

そのときに気づいたのは、自分にとって重要だと思えるものの中に、仕事は含まれていないということだったんですよね。

今までは結構無理をして闇雲に仕事をがんばってきましたが、自分にとって大切ではないもののために身を削って身体壊して、ぼくは何をやっているんだろう、という思いが強くなりました。

であれば、そこから早く抜け出す方法を考えようと頭を切り替え、いろいろと考えていった結果、若隠居がそのひとつの答えなんじゃないかと思いました。

自分を守るための隠居という選択肢

隠居というと、財産をある程度築いた後、家業を子孫に譲った方の優雅な老後の生活、みたいなイメージがあるのですが、若い人でも隠居を目指してもいいと思うんですよね。

実際江戸時代の人は、40代になるとみんな隠居になりたがったそうですし。(横尾忠則『隠居宣言』)

そしてそれは、ぼくのような会社や社会で生活していくのが難しい人間が「自分を守るために」目指してもいい生活スタイルだと思うんです。

みんながみんなモーレツに働くんじゃなくて、隠居という生活スタイルを若いうちから目指し、それを早い段階で確立することによって、社会という外敵から身を守るという選択肢は残されていていいんじゃないかと思います。

そしてこういう生活スタイルを望んでいる人は、実はこの社会にはたくさんいらっしゃるんじゃないかなとも思います。

というわけで、ぼくは若隠居に必要なことを探りながら、一歩一歩進んでいきたいと思います。

 

20代のぼくが隠居を目指すようになった理由その2:凝り性・知りたがり

理由その2です。

凝り性・知りたがり

ぼくは凝り性で知りたがりです。

前回の記事にも書きましたが、スポーツはハマったものに関してはそれなりに結果を出してきましたし、働きながらですが本も毎年70-80冊は読みます。

論文や雑誌などを合わせると年間100冊近い分量は読んでいると思います。

読書量に関しては上には上がいますけどね。

 

ストレングス・ファインダーをやったことがあるのですが、その中にも、「収集心」や「最上志向」が入っていました。

収集心

あなたは知りたがり屋です。あなたは物を収集します。あなたが収集するのは情報――言葉、事実、書籍、引用文――かもしれません。あるいは形のあるもの、例えば切手、野球カード、ぬいぐるみ、包装紙などかもしれません。集めるものが何であれ、あなたはそれに興味を引かれるから集めるのです。そしてあなたのような考え方の人は、いろいろなものに好奇心を覚えるのです。世界は限りなく変化に富んでいて複雑なので、とても刺激的です。もしあなたが読書家だとしたら、それは必ずしもあなたの理論に磨きをかけるためではなく、むしろあなたの蓄積された情報を充実させるためです。もし旅行が好きだとしたら、それは初めて訪れる場所それぞれが、独特な文明の産物や事柄を見せてくれるからです。これらは手に入れた後、保管しておくことができます。なぜそれらは保管する価値があるのでしょうか? 保管する時点では、何時または何故あなたがそれらを必要とするかを正確に言うのは難しい場合が多いでしょう。でも、それがいつか役に立つようになるかどうか誰が知っているでしょう。あらゆる利用の可能性を考えているあなたは、モノを捨てることに不安を感じます。ですから、あなたは物や情報を手に入れ、集め、整理して保管し続けます。それが面白いのです。それがあなたの心を常に生き生きとさせるのです。そしておそらくある日、その中に役に立つものが出てくることでしょう。

 

最上志向

優秀であること、平均ではなく。これがあなたの基準です。平均以下の何かを平均より少し上に引き上げるには大変な努力を要し、あなたはそこに全く意味を見出しません。平均以上の何かを最高のものに高めるのも、同じように多大な努力を必要としますが、はるかに胸躍ります。自分自身のものか他の人のものかに関わらず、強みはあなたを魅了します。真珠を追い求めるダイバーのように、あなたは強みを示す明らかな徴候を探し求めます。生まれついての優秀さ、飲み込みの速さ、一気に上達した技能――これらがわずかでも見えることは、強みがあるかもしれないことを示す手がかりになります。そして一旦強みを発見すると、あなたはそれを伸ばし、磨きをかけ、優秀さへ高めずにはいられません。あなたは真珠を光り輝くまで磨くのです。このように、この自然に長所を見分ける力は、他の人から人を区別していると見られるかもしれません。あなたはあなたの強みを高く評価してくれる人たちと一緒に過ごすことを選びます。同じように、自分の強みを発見しそれを伸ばしてきたと思われる人たちに惹かれます。あなたは、あなたを型にはめて、弱点を克服させようとする人々を避ける傾向があります。あなたは自分の弱みを嘆きながら人生を送りたくありません。それよりも、持って生まれた天賦の才能を最大限に利用したいと考えます。その方が楽しく、実りも多いのです。そして意外なことに、その方がもっと大変なのです。

 

 

隠居後の暇つぶしには重要な素質

この凝り性や知りたがりという性質は、どうやら隠居には重要な要素みたいです。

『大都会隠居術』にはこうあります。

江戸以来、成人した大人たちのダンディズムを養成する要件としてつねに言われてきた要点が三つある。一に”集めごと”、二に”習いごと”、三の”調べごと”である。(中略)この三つの分野で何かひとつずつ熱中していることがないような男は、ひとかどの大人、ひとかどの隠居になれなかった。

本の中には、ひたすら犬の鳴き声を研究する「犬の啼声(なきごえ)研究家」や、お寺のものばかり集める「お寺ごっこ」などの例が紹介されていますが、こういう変なものに凝るというのは、余暇時間が一気に増える隠居後の生活を楽しく暮らす一つの極意なのかもしれません。

また、『隠居学』の中で、社会学者の加藤秀俊さんはお知り合いから韃靼(だったん)そば茶をもらってそれについて調べていったのを皮切りに、連想に連想を重ねて最終的に演歌に行き着く過程をつらつらと書かれています。

しかも、「ほんとに、まったく役に立たない」ことを知りつつ、ただ「知らなかったことを知るよろこびがあるから」、気の赴くまま調べごとをしていくのですね。

 

 

周りの人の目を気にせず、好きなものに没頭しよう

こういう一種の一途さ、途方もなさに清々しさを感じるのはぼくだけでしょうか。

周りから見てどんなに無意味に見えることでも、それが本人にとって重要で楽しいものなのであれば、それだけで価値があると思うんですよね。

そしてどうしても孤独で元気も薄れていく隠居後には、その興味の対象が、言葉通り生活を支えてくれるものになるのではないでしょうか。

趣味は突然生まれるものではなく、大切に育てていくものですから、若いうちから好きなものは大切にしていきたいです。