どうも、サカモトです。
憧れはあるけど決して手に入らないものが、この世にはたくさんあります。
そのうちの一つが「天職」だと思います。
最近はテレビでもネットでも、果ては電車広告まで「今の仕事ではない仕事」を勧めてくる世の中ですが、その中にはまず自分の天職は存在しないと思います。
消極的な天職の探し方
これは持論ですが、天職というものは、「これが自分の天職だ!」と「発見」するものではなく、「もう自分にはこれしか残っていない」という、ある種の諦めの元に「受け入れる」、案外消極的な理由で選択される仕事ではないかと思うのです。
色々やってみたけど、どれも色んな理由があって中途半端で終わってしまった。でも今でもこれだけは続けられている。自分にはこれしか残っていない。その事実をあるがまま受け入れて、これを続けてみよう。
このような経緯で、どちらかというと後ろ向きの動機で選択された仕事が、実は天職なのではないかと思うのです。
僕自身も、つい最近まで様々なことに手を出していました。
今も博士号取得に向けて論文を書いていますし、里山シェアという仕組みを利用して農業をやったり、バイクメンテナンスをココナラに出品してみたり、最近だとドローンレースに挑戦するためにFPVドローンを購入してみたり、興味の赴くまま四方八方でつまみ食いをしていました。
でもそのほとんどは途中でやめてしまいました。
理由は様々です。
単に興味を失ったものもあれば、子育てで時間が取れなくなったものもあるし、金銭的に持続可能ではないと判断したものもあります。
では何が残ったかと言うと、執筆、読書、アウトドアの3つです。
執筆に関しては、このブログは更新頻度はまちまちですが、書き始めて4年目になります。
研究者を仕事に選んだのも、文章を書くことを仕事にしたかったという動機があったからです。
読書とアウトドアに関しては、保育園の頃から意識せずに続けられています。
このように、上記の3つだけは、どれだけ障害があっても何故か続けることが出来ているのです。
ということは、やはりこれが僕の天職だと思うのです。
先ほど記した、道半ばで散っていった有象無象の趣味たちも、心から興味があり、自分に合っていたら、どんな状況であっても続けていたでしょう。
しかし、どんな困難があったとしても、辞めざるを得なかったということは、それはやはり自分には合っていなかったということです。
言葉には出来なくとも、心の奥底でそれをやることに対する違和感が拭い切れないからこそ、何かと理由をつけて辞めてしまうのです。
一方、最後まで残ったものは、自分が一番無理なく続けられること、いわば生きることと一体化していることなので、それを仕事にすべきだと思うのです。
松本人志とお笑い
僕は松本人志が好きで、AmazonのAudibleというサービスを利用して、10年以上前に人気だったラジオ番組「松本人志の放送室」を聞いているのですが、松っちゃんも自分に最後まで残ったのがお笑いだという趣旨の話をしていました。
勉強は九九も怪しく、運動もそこまでできなかったけど、お笑いで友達やクラスのみんなを笑かすことはできた。
もちろん紆余曲折や浮き沈みはあったようですが、最後まで追求できたのがお笑いで、その延長線上に今の成功があるんだなぁと感慨深く聞いていました。
自分の引き出しを開けてみる
もし今、自分の仕事に迷いを持たれている人がいるなら、転職サービスなどを検索するのを一旦やめて、自分の手元に残っている引き出しをひとつずつ確認してみるといいのではないかと思います。
自然と昔から続けてしまっていること、人は苦手なのに自分はなぜか苦にならないこと、得意かどうかは分からないけど続けることはできること、などが何かあるはずです。
それはあなたにとっての天職を探すヒントになるのではないかと思います。
それを、額は大きくなくてもいいので、何かしらの方法でお金に変えることが出来るなら、まずは小さく始めてみたらいいと思います。
今はいいサービスがたくさんあるので、元手をほとんどかけることなく小さく稼ぐ方法ならかなり存在します。
もしそれができたなら、人生の選択肢が確実に広がることでしょう。
ではでは。