どうも、サカモト(@SkmtKari)です。
「岡崎体育」は知っているだろうか。
他に類を見ない、唯一無二のアーティストである。
知らなければ、まずは以下のミュージックビデオをご覧あれ。
思わず笑ってしまうこと請け合い。
「この人は新しい!」と思っていただけたことと思う。
最初にこのミュージックビデオを見たとき、僕は衝撃を受けた。
「この人はすごい!」と直感的に思った。
しばらく岡崎体育のことで頭がいっぱいになってしまった。
興奮が冷めやらぬうちに、「岡崎体育はなぜすごいか」について、考察してみたい。
岡崎体育はなぜすごいか
「あるあるネタ」
真っ先に頭に思い浮かぶのは、ミュージックビデオに含まれる「あるあるネタ」を曲にしてしまった、岡崎体育の視点の新しさだ。
「あるあるネタ」を音楽で表現する人を、僕は他に知らない。
「あるあるネタ」を多分に盛り込んでいる故に、岡崎体育の曲はユーモアに溢れ、見た人の笑いを誘う。
しかし、実は「あるあるネタ」は、お笑い界の鉄則だ。
中川家の電車のネタや、
レギュラーの「あるある探検隊」も「あるあるネタ」で人気を博した。
「あるあるネタ」は、観客にとって普段から身近に感じていることをネタとして取り上げているため、笑えるポイントを容易に理解できる。
故に多くの人たちの共感を得やすく、人気を得やすい。
岡崎体育も同じ手法を用いて、ミュージックビデオの「あるある」を抽出し、それを惜しげも無く暴露している。
それを見た音楽に馴染みのある視聴者は、思わず「あるある!」と共感してしまう。
これが、岡崎体育の曲を聴いて思わず微笑んでしまう理由だと僕は思う。
しかし、これは岡崎体育のすごさのほんの序の口だ。
ミュージックビデオ界に対する鋭い風刺
岡崎体育は、「あるあるネタ」を曲にすることによって、ミュージックビデオ界を痛烈に批判している。
音楽が飽和している現代では、それに付随して、ミュージックビデオの数も爆発的に増加している。
「OK GO」のように、本当の意味で独創性の高いミュージックビデオを制作しているアーティストは稀で、多くのアーティストの曲を彩るミュージックビデオは、どれも似通っている。
本来は人に夢を与えるべきエンターテイメントのひとつであるミュージックビデオ界では、他のどの業界よりもクリエイティビティが求められる分野であるにも関わらず、「あるあるネタ」が描けてしまうほど、内容の陳腐化が起こってしまっていることを表している。
岡崎体育はその現状をいとも簡単に、軽やかに風刺する。
「こういう要素を入れておけば、ミュージックビデオ『っぽい』映像は作れる」と、視聴者に投げかける。
そのどれもが、確かに、ミュージックビデオ『っぽさ』を描き出す要素として納得がいく。
その視点の鋭さは、岡崎体育のすごさのひとつといってもいい。
しかし、これだけではまだ岡崎体育のすごさを十分に表現しているとは言えない。
「攻撃性」を感じさせない軽やかさ
業界に対する風刺は、ともすると「攻撃」になりがちだ。
風刺漫画はその代表例だろう。
参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E5%88%BA%E6%BC%AB%E7%94%BB
普通、風刺は対象を批判するために行われる。
対象に対する攻撃性があるのだ。
しかし岡崎体育のミュージックビデオからは、そのような攻撃性は微塵も感じられない。
少なくとも、僕のような一般の視聴者に関していえば、秘密を楽しげに漏らす子どもの悪戯のような遊びの要素を感じるだけだ。
そのため、見ている者も安心して笑うことができる。
その横で、ミュージックビデオ業界に関わる人たちは、冷や汗をかいているとは思うが。
実は「風刺を笑いに変える」というのは、テクニックも勇気もいることだ。
「MUSIC VIDEO」を公表することによって、岡崎体育はその業界の人たちから批判の目にさらされることになるだろう。
しかしそれを怖がることなく、音楽作品として世に出した岡崎体育は、勇気あるアーティストだと僕は思う。
さらに、岡崎体育は、批判の目を向ける人たちの数を大幅に減らすテクニックを、この映像にふんだんに盛り込んでいる。
さわやかな曲調、選ばれた歌詞、悪意のない映像、そのどれをとってもかなり周囲に気を遣って「MUSIC VIDEO」が制作されたことが伺える。
実は岡崎体育の曲の最もすごい点は、この点だと僕は思う。
曲自体のクオリティも非常に高いです
いろいろ述べてしまったが、曲自体の完成度も非常に高いので、騙されたと思って一度聞いてみてほしい。
さあ「クリエイション クリエイション クリエイション〜♫」
ではでは。