どうも、サカモト(@SkmtKari)です。
今、この本を読んでいます。
大変おもしろい本で、夢中になって読み進めています。
この本の中で、「宗教と哲学の違い」について書かれている部分があります。
「人生の唯一の答え」を求めるなら、哲学より宗教だ
「人生とは何か」という問いに対して哲学が答えを与えてくれるのではないか、と期待して哲学を学び始める人は多いらしいです。
しかし著者は言うのです。
これらの人々の期待は、必ずしも容易には満たされない、と。
なぜなら、哲学は、人生についてのあらかじめ出来上がった答えを用意していて、これを与えてくれるものではないと。
哲学的態度とは、外から与えられるあらゆる権威を否認し、退けるところにしか生まれません。
自分自身の理性と経験によって受け入れることができる答えだけを受け入れようとすること、それが哲学的態度です。
すなわち、どんなに偉い人や、どんなに世界的に影響力がある人が言ったことでも、それをすぐに答えだと盲信することなく、自分の理性と経験に基づいて、その良し悪しを判断することが、哲学的には重要です。
さらに、哲学には「唯一の答え」はありません。
過去の大哲学者と呼ばれた人々も、その人自身が導き出した答えは持っていましたが、それはあくまでその人にとっての答えであり、全世界の人々に共通する答えではありません。
その人にとっての答えはあくまで、その人自身が理性と経験によって見つけるしかないのです。
もしも「人生の唯一の答え」であるならなんでもよい、という態度で求めるとしたら、その人は哲学よりも宗教にこれを求めた方がいい、と著者はいいます。
宗教にはそれぞれの教義があり、そこには人生の意義についての何らかの解答が、出来上がった形で含まれているからです。
おもしろいのが、「では自分に合った宗教を探そう」と思い、現存する様々な宗教の長所と短所を比較し、自分に合った宗教を求め始めた途端、それは宗教としての意義を失い、哲学の色を帯び始めるというところです。
宗教ではその教義に疑いをかけることそのものが罪深いとされます。
心の底から教典に書かれていることを信じ、それを微塵も疑うことなく実践することこそが、宗教には求められるのです。
しかし、様々な宗教を比較し、その特徴を吟味することは、自分の基準に基づいてそれらを選択することに他なりません。
その吟味・探求する態度は、まさに哲学だというのです。
「宗教」を求めた10代、「哲学」を求めた20代
僕自身のことを振り返ると、10代のときは「宗教」を求め、20代のときは「哲学」を求めていたと思います。
10代の頃は「宗教」を求めていました。
もちろん「宗教」といっても仏教とかキリスト教とかのそれではなく、「自分が唯一信じられるもの」を見つけようと躍起になっていました。
信じられる先生、好きな言葉、憧れる有名人・・・
対象は様々あれど、「自分の存在意義を示してくれる、自分以外の何か」をずっと求めていたように思います。
自分に自信がなかったから、自分を表現してくれるものを自分以外の何かに求めるしかなかったのでしょう。
しかも選択するときには、他のものと比較することなく、盲信的にそれを信じていました。
自分の人生の答えを、外に求めていました。
場合によっては突破力もあったので、これはこれでいいときもありましたが、この本の説明によると、それは大いに宗教的だったと思います。
一方、20代では「哲学」を求めるようになりました。
大学に通ったことも影響したと思いますが、世界の様々な知識、現象を比較し、自分が信じるべき事柄を選んでいきました。
正直まだ終わったものではなく、今でも続いているプロセスですが、最近になってだいぶ答えは絞られてきたように感じます。
もちろん、「これが答えだ」と思っても、その答えは生きている限り書き換えられていくものだとは思いますが、その方向性や焦点は、この10年で随分定まってきたように思います。
それにしても、多くの気づきを与えてくれる本です。
今年で一番出会ってよかった本かもしれません。
哲学に興味を持っている方は、ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
ではでは。