隠居したいサカモト(仮)は、旅行に行く度「その場所は隠居先の候補になり得るか?」という視点でその土地を眺めてみます。
既に何度か書いていますが、5月末にハワイに行きました。
ハワイは毎年旅行に来る人が多い場所で、観光地としては名実共にトップクラスの土地です。
しかしサカモト(仮)にとっては、この「隠居先の候補になり得るか?」という目でハワイを観察した時、答えは「NO」だったのです。
「観光」と「生活」は違う
旅行に行った際は自分が住んでいる土地との違いに目が行きやすいです。
その場所ならではの料理や建物、風土などが常に新鮮で、街全体が刺激的で新鮮味に溢れています。
観光で短期間滞在するだけならそれでも全然構いません。
むしろその新鮮さを思う存分楽しんで、世界を見る色メガネに新しい色を加えればいいと思います。
そうやってたくさんの色を加えた先に、「世界はこんなにも多様で、『普通』なんてないんだ」という点を知れば、もっと豊かに生きることができるのではないかと感じます。
しかし、いざ「ここに住めるか?」という問いを自分自身に向けたとき、そこにはもっとシビアな境界が生まれます。
サカモト(仮)は生活する場所には周辺の環境が静かだったり、治安がよかったり、自然にあふれていたり、という点を重視するので、ハワイのようなウキウキの若者やピチピチのギャルやウホウホのマッチョでごった返している街は正直しんどいです。
これは隠居先に求める条件とも合致しています。
このようなサーカス集団が週末に街に現れなくていいんです。
鳥の鳴き声で目が覚めて夜きれいな星が見れればそれで満足なんです。
自然に囲まれて静かに平穏に暮らせればそれだけで幸せです。
「華やかさ」を手放す
そして隠居の際に重要なことは、社会的な「華やかさ」を手放すことだと考えています。
隠居は社会から意図的に距離を置く行為ですから、人からうらやましがられる生活を送るのは結構ですけれども、「人からうらやましがられること」を目的にするべきではありません。
分かりやすく言えば、海外旅行に行ってFBに写真を挙げて友だちや知り合いからたくさん「いいね!」をもらう生活は確かに楽しいんでしょうけども、隠居にとってはそれは無用だと言えます。
サカモト(仮)もFBは苦手です。
だってめっちゃめんどくさくないですか。
友だちからの「いいね!」を獲得するために消耗したくない。
それよりも自分自身の生活の充足感を高めるために時間を使いたい。
自分自身の生活に毎日小さい「いいね!」を送りたい。
まだFBで消耗してるの?
「静かなリア充」へ
しかし、隠居生活が楽しくないかと言われると、非常に楽しいと思います。
そこには時間や場所や生き方の自由が全部詰まっているからです。
隠居は社会から距離をとっている分、他人や社会的な制約に自分の行動を制約されることがほとんどありません。
その分何をやっても許されます。
趣味に没頭してもいい、一日中寝ていてもいい、パンツ一丁で踊り狂っていてもいい・・・
こんな幸せな生活ないですよね。
しかし他人とのつながりがない分、それは自己満足に支配された生活だと言えます。
褒めてくれたり喜んでくれる他人がいないからこそ、自分自身の満足に全力を注ぐのです。
先ほどのFBの例と比較すると、そこには「静かなリア充」の姿が見えます。
隠居とは「社会の片隅で自己満足的に生きる」生き方なのです。
実際の隠居生活が知りたい方は、大原扁理さんの『20代で隠居 週休5日の快適生活』をぜひ。
ユーモア溢れる素敵な本ですよ。
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