最愛の祖母の葬式に行ってきた

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✳︎本記事は実体験を詳細に綴っています。人によっては不快・不適切等と思われる内容も含まれている可能性があります。気分を害されたくない方は、この後の文章をお読みにならないでください。本記事の内容以外の事柄については一切責任を負いません。以上のことをご了承いただいた上でお読みください。


地元に向けて車を走らせていた。

祖母の葬式に出席するためだ。

父からメールが入ったのは、2週間前のことだった。

病院に入院していた祖母の容体が悪化し、回復の傾向も見られないため、余命が近いということだった。

とうとうきたか、と思った。

祖母は5年前から腎不全や認知症などの症状が出はじめ、病院とグループホームを行き来する生活を送っていた。

特に最近は認知症の症状が重くなっていた。

5分ごとに同じことを話すし、かと思えばぼーっと宙を仰いでいた。

とはいえ、症状は進んでいたものの、深刻には感じていなかった。

祖母がはっきり認知症と分かる症状を見せ始めた当初は確かにショックだったが、二回目以降は心の準備ができ、むしろ出来る限り最後の恩返しをしたいという気持ちで、積極的に会いに行った。

認知症以外の病状について詳しく聞いたことはなかったが、会うたびに痩せていき、髪も白く薄くなり、認知症の症状も進んでいたため、先が長くないことを直感的に理解していた。

小さい頃は両親が共働きだったため、ぼくが保育園や小学校に通っていたときは、近くに住んでいた祖母が、両親が帰宅するまでぼくの面倒を見てくれた。

祖母は昔は大変厳しい人だったそうだが、ぼくにとってはこの世の誰よりも優しい人だった。

やんちゃ盛りだったぼくのわがままを、嫌な顔一つ見せずに全て受け入れてくれた。

時には、宿題を終わらせないと遊びに行くことができなかったぼくを不憫に思い、算数の宿題を手伝ってくれたりもした。

昔、先生として働いていた頃の祖母を知る人から見たら、信じられない行為だったことだろう。

過去の厳しい先生の面影は少しもなく、ただカラッと笑う祖母の笑顔だけがいつもそばにあった。

中学生で反抗期を迎えた後も、祖母の家にはたまに顔を出した。

髪を染め眉毛もない、一言で言うと柄の悪い不良だったぼくを、祖母は戸惑いながらも優しく迎えてくれた。

人との関わりを避ける割には、人からの愛情を渇望している思春期真っ只中のぼくにとっては、唯一心を許せる大人が祖母だった。

この時期、両親とは一言も口をきかなかったが、祖母とは話をした。

残念ながら話した内容はほとんど覚えていないが、祖母の家のリビングにあるテレビで、大相撲の中継を見ながら、他愛のない話をしていたことは覚えている。

他の大人に対してはどうしようもなく突っ張っていたぼくも、祖母の前では自然とただの素直な中学生に戻った。

祖母の家にはなぜかリポビタンDが常備されていて、ぼくが行くと決まってそれを出してくれた。

常温保存だったため、蓋を開けた途端炭酸が抜け始め、しばらく経つと気だるい味になってしまうそれを飲みながら、特別ではない時間を過ごしていた。

不良仲間には気を遣い、親にはきつく反抗していたぼくにとっては、自分の部屋と祖母の家だけが落ち着ける場所だった。

昔受けたこれらの恩は返せる訳がないのだが、自分でも理解できない強い使命感に駆られて、実家に帰るたび祖母に会いに行った。

祖母はぼくが会いに行くたびに、涙を流して喜んでくれた。

たぶん前に会ったことを覚えていなかったのだろう。

それでも「自分が会いに行くだけで泣いて喜んでくれる存在がいる」という事実は、単純にうれしかった。

ぼくも何度でも同じ話を聞いた。

認知症の症状が進み、会話が出来なくなってからは、何度も手を握った。

その度に祖母は手を握り返してくれた。

言葉を介さない会話でもこんなにも人は通じ合えるものかと思った。

父からメールを受け取ったとき、ぼくは出張先の喫茶店で仕事をしていた。

普段の出張はたいてい二人一組で出かけるのだが、この日は珍しく一人だった。

ぼくは、隅っこの目立たない席で、おしぼりを目に当て、一人声も出さず涙した。

「祖母が死んでしまう」という事実を受け止めることができなかった。

身体の中で受け止めきれなかった感情が、涙として身体の外に溢れ出てしまった。

もう何年も泣くことがなかったぼくの目から、信じられない量の涙が溢れてきた。

一人でよかったと思った。

泣いている姿を同僚に見られたくはなかった。

一人でなかったら泣くこともできなかっただろう。

その後に控えた打ち合わせのことが途端にどうでもよくなった。

もうどうにでもなれと思い、そのまま泣き続けた。

しかしそれから程なく、この一件はぼくの中で一旦過去のものとなった。

というのも、前回会った時には祖母の容体はそれほど悪くなく、そのときの現実がぼくの認識のすべてだったため、「余命が短い」という言葉に現実感を持てなかったからだ。

「祖母がもうすぐ死ぬ」という事実は、ぼくの想像をはるかに超えていて、当時のぼくでは受け止めきれなかったのかもしれない。

ただ、父からのメールを受け取ってからというもの、新着メールを確認するのが怖くなった。

メールが届くたび、「次こそ祖母が亡くなったという知らせがくるのではないか」という恐怖が頭の中をよぎった。

その恐怖から早く逃れたかったが、その恐怖から解放されるときはすなわち祖母の死を意味していた。

どちらも受け入れたくなかった。

ただただ毎日新着メールの題名を確認し、父母からのメールでないことに安堵する生活を送っていた。

しかしとうとう「その日」がやってきた。

ある日の朝、目が覚めて携帯を確認すると、朝の3時頃に実家からの着信履歴が残っていた。

ぼくは全てを悟った。

ベッドから起き上がることもなく実家に電話をかけ、「その日」の日付が変わってすぐ、祖母が他界したことを知った。

そして翌日にお通夜、その翌日に葬式があることを伝えられた。

正直実感が湧かなかった。

もちろん情報としては、祖母が亡くなったということは理解していた。

しかし身近な人の死を経験したことのないぼくにとって、それはあまりにも自分からは遠いもののように感じられた。

とにかく、翌日のお通夜に向けて喪服や宿泊の準備を進めた。

それは地に足の着かない、どこか宙に浮いたもののように感じられた。

お通夜は夕方から始まる予定だった。

当日の朝早く、実家に向けて車を走らせた。

今年は台風や秋雨前線の影響で秋雨の日が続いていたが、この日は珍しく快晴だった。

まだ事の深刻さを身に沁みては実感していなかったぼくは、久しぶりの青空に心が躍った。

しかし太平洋側から日本海側へ抜ける高速に乗りしばらくすると、次第に空が曇り始め、山間に入る頃には雨が降ってきた。

フロントガラスに打ちつける雨は、この先に待っている畏怖の存在との出会いを暗示しているように見えた。

数時間後には、人生で初めて死者と対面することになるのだと考えていた。

最初の対面が最愛の祖母になるとは、運がいいのか悪いのか分からなかった。

祖母の死体と対面したとき、自分がどのような反応をするのか想像できなかった。

祖母の亡くなった姿を想像しようとするのだが、どうがんばっても途中で想像が途切れてしまった。

脳が想像することを拒否しているように感じた。

結局頭の整理がつかないまま、実家に到着した。

実家の仏間には布団が敷いてあった。

布団が膨らんでいることから、中に誰かが入っていることが見て取れた。

顔の部分に白い布がかけられていたので、それが祖母だと分かった。

膨らみのあまりの小ささに驚いた。

幼い頃はその存在の大きさに甘えていた。

近年は車椅子の生活だったので身体の全貌を把握する経験が少なかった。

そのため、背筋を伸ばした状態で横たわっている祖母の身体を改めて見たとき、それは本当に祖母なのかと疑った。

祖母の魂の分だけ身体が縮んでしまったのかもしれない、と思った。

あれだけ好きだった祖母だったが、容易に近づけない雰囲気が周囲にまとわりついていた。

しばらくすると母がやってきて、横に座って手を合わせてくれと言った。

そして母は、祖母の顔にかかっていた打ち覆いを静かにめくった。

初めて死者に対面したぼくは、思ったよりも落ち着いていた。

そこにはぼくの知った祖母が、眠っているように横たわっていた。

満足したようでも苦しそうでもなく、ただただ眠っているように見えるその死に顔を見て、ぼくは安堵した。

父母から受け取ったメールでは、亡くなる直前は何も食べることができず、熱もあったと聞かされていたので、苦しんで死んでいったのではないかと想像していたが、少なくとも目の前に横たわっていた祖母の顔からはそれは見て取れなかった。

ぼくは祖母の横に静かに正座し、手を合わせて、心の中でただいまを言った。

しばらくすると業者の人が家に来て、湯灌の準備を始めた。

お通夜の前に死者をお風呂に入れて、身体を清潔な状態にするのだと言った。

祖母の布団の横に組み立て式のお風呂が準備された。

業者の人の手際の良さに驚いた。

以前映画で見た『おくりびと』の世界が目の前に広がっていた。

お風呂に湯が張られ、祖母の身体がゆっくりと湯に浸かり、業者の人が丁寧に身体を洗ってくれた。

祖母の最後の姿を見逃すまいと、作業の一部始終を目に焼き付けようとした。

途中、頭を洗うとき、祖母の薄くなった髪が、頭蓋骨の輪郭がはっきりと分かる頭に張り付いた。

ぼくはその祖母の姿に仏様を見たように感じた。

湯灌はまもなく終了し、きれいになった祖母の身体が丁寧にふかれた。

改めて着せられた白装束からのぞく手足は痩せ細っていた。

亡くなる直前、ほとんど栄養を摂ることができなかったことを、祖母の身体は如実に物語っていた。

その後、父の同意のもと、祖母に死に化粧が施された。

肌の皺や染みは隠され、唇も健康的な色になったが、ぼくはその顔を好きにはなれなかった。

この顔は嘘だと思った。

たとえ見栄えはよくなくても、素顔のままの祖母を最後まで見ていたかった。

棺桶が部屋に運ばれてきた。

生まれて初めて棺桶を見た。

様々な意匠で白く飾られたその大きな箱は、漫画やテレビで知っていたものとは異なり、存在感はあれど辛気臭い雰囲気は感じさせなかった。

その場にいた男四人がかりで、祖母を棺桶に入れた。

ぼくは足元を持つ係を受け持ったが、ほとんど力を入れなくてもいいほど、祖母の身体は軽く感じた。

棺桶に入った祖母を、お通夜の会場に行く車に乗せ見送った後、ぼくたちも会場に向かった。

お通夜の会場には、祖母の遺影が飾られていた。

60歳くらいの頃、まだ祖母が元気だった頃に撮影されたもののようで、頬がふっくらしていて、化粧をしているのか顔色もよく、顔のシミも目立たなかった。

遺影の中の顔は、ぼくが幼い頃見ていたカラッとした顔で笑っていた。

しかし亡くなる直前の祖母の印象が強く残っているぼくにとっては、遺影に写っている祖母はどこか嘘っぽく見えた。

祖母に死に化粧が施されたときに感じた感覚と似ていた。

 

遺影の周りには花やお菓子が飾られており、それらを寄贈したであろう人たちの名前が連なっていた。

知らない親戚の名前もあった。

「葬式でしか会わない親戚がいる」という噂を聞いたことがあるが、その噂は本当だったのだと思った。

 

お通夜の時間が近づくと、ぞろぞろと人が集まってきた。

大部分は知らない人だったが、中には小さい頃よく遊んだ幼馴染のご両親の顔もあった。

来てくれた一人一人に頭を下げた。

「おばあちゃんに会いに来てくれてありがとうございます」と心から思った。

 

人生初のお通夜は淡々と進んだ。

来てくれた人たちを見送ったあと、親戚一同でお弁当を食べた。

バタバタとしていたが、その忙しさがありがたかった。

時間がありあまっていたら、ぼくはきっと悲しみにくれていただろうと思った。

 

昔の人は、故人の死の悲しみを紛らわすために、お通夜や葬式を、わざと考える間も与えないほど慌ただしく過ごさせるようにしたのではないかと思った。

その賢明さに感謝した。

 

 

 

翌日は午後から葬式が始まった。

秋雨が続く今年の天気では珍しい晴天だった。

蒸し暑い残暑だった。

晴れ渡る青空のような存在だった祖母のことを迎えてくれているのだと思った。

 

昨日とほぼ同じ顔が揃い、式が始まるまでの時間を過ごした。

式が始まるとすぐ、家の近くのお寺の住職がお経をあげてくれた。

目を瞑り手を合わせながらそれを聞いた。

その後、祖母との思い出のDVDが流された。

結婚式で見るようなその映像を、ぼくは嫌悪した。

安っぽい感動を植え付けるために作られたそれは見るに堪えなかった。

祖母との思い出をこんな映像で汚されたくなかった。

 

 

 

しかしそのとき、目の端に意外なものが見えた。

父がハンカチで目を拭っていた。

 

それを見た瞬間、今まで堪えていた感情が爆発した。

堰を切ったように大量の涙が頬を伝ってきた。

自分の中にこんなにも水が蓄えられていたのか、と驚いた。

 

もちろん悲しみは感じていたが、涙の理由はそれではなかった。 

始めて見た父の涙に対する共感はあったが、それだけでもなかった。

おそらくきっかけは何でもよかったのだと思う。 

 

泣きながら「なぜ自分は泣いているのだろう」と自問した。

しかし理由は見つからなかった。

涙というものは理由なく流れるものだと知った。

実は人は涙が流れた後、事後的にその理由を「悲しかったから」とか「寂しかったから」とつけているのではないかと思った。

 

最後にみんなで棺桶に花を添えていった。

祖母は生前、花が好きだった。

見るのも育てるのも好きだった。

その祖母の顔以外の部分が参列者によって添えられた花に埋もれていく様子を眺めながら、最後に大好きな花に囲まれることが出来て本当によかったと思った。

 

その間も、一度流れ出した涙は止まることを知らなかった。

ハンカチで拭いても拭いても涙が湧き出てきた。

葬式がひと段落したタイミングを見計らって、たまらず外に出た。

小さい頃、泣こうとして泣いたことは記憶にあるが、止めようとしても止まらない涙を流したことは記憶になかった。

自分の意に反して溢れ出す感情に身を委ねるしかなかった。

 

 

 

 

出棺の時間になった。

男6人で祖母が入った棺桶を霊柩車に乗せた。

バスか霊柩車かどちらに乗るかを選ばされたが、迷わず霊柩車を選んだ。

出来るだけ長く祖母の近くにいたかった。

 

霊柩車には始めて乗った。

これまでは「あまりじろじろ見てはいけない」くらいの印象しかなかった。

その霊柩車に自分が乗っていた。

後ろには祖母の存在を感じていた。

これまでぼくが何気なく見てきた霊柩車の車内で、こんなにも濃密な時間が過ぎているとは想像もしていなかった。

霊柩車の中で過ぎる時間は、故人と過ごすことができる最後の時間だった。

静かで重い時間がゆっくりと過ぎていった。

 

霊柩車は、火葬場に行く前に、祖母とぼくの自宅の前を通った。

最初に祖母の自宅に向かった。

運転手は家の前で車を止め、遺影に写った祖母が家を眺められるように、遺影を持った母が座る後部座席の窓を開けてくれた。

母は遺影に向かって、「おばあちゃん、帰ってきたよ」と言った。

最後の方の声が揺れていた。

みながそれぞれ祖母との別れを惜しんでいた。

車が移動を再開するとき、クラクションが悲しく鳴った。

 

ぼくの自宅の前では、ぼくの知らない人が霊柩車に駆け寄ってきた。

祖母の知り合いらしかった。

その人も悲しみで涙していた。

遺影に向かって「ありがとう、ありがとう」と何度も繰り返した。

祖母はいろんな人に感謝されながら逝ったのだと知った。

 

 

 

火葬場は山のふもとにあった。

霊柩車とバスは同時に到着した。

屈強そうな身体の担当者が、持ってきた台車に棺桶を乗せ、中へと移動した。

 

袈裟を着た女性と一緒に最初の部屋に入った。

焼香をする部屋だった。

祖母の入った棺桶に向かって一人ずつ焼香をした。

その後、火葬場へ移動した。

 

火葬場の中は熱された空気と、何かを燃やした微かな匂いで満たされていた。

人を焼いた匂いなのだろうかと思った。

奥に進むと、1から10までの番号が振られたエレベーターの入り口のような扉がずらりと並んでいた。

その風景は、昔読んだホラー小説を思い出させた。

 

 

その中のひとつの扉が開けられた。

屈強な担当者が、台車をその扉の中へと押し込んだ。

棺桶の支えが外され、棺桶だけが中に残された。

扉が閉められた。

 

担当者は発火ボタンを押すように父に言った。

父は静かにボタンを押した。

全てが決まった手順で滞りなく進んでいった。

 

帰りはバスで帰った。

祖母が燃えさかる炎によって燃やされている姿を想像しながらバスに揺られていた。

しかし想像の中の祖母は、燃えることなく炎の中で静かに目を閉じていた。

燃えている祖母を想像することができなかった。

 

 

 

家の近くの料亭で、遅めの昼食を食べた。

落ち着く間もなく、すぐに出発する時間が訪れた。

収骨のためだった。

 

 

先ほどの火葬場に舞い戻った。

事務室にいた職員に来た旨を伝えると、しばらく待たされた後、先ほどの担当者によって火葬場に案内された。

先ほど祖母の棺桶が入っていった扉の前に案内された。

 

担当者が扉を開けた。

 

祖母がどんな姿で出てくるか、想像もできなかった。

過去に人の骨を見たこともなかった。

頭の中にある知識を探っても、中学校のとき人体模型で見たくらいの知識しかなかった。

 

帰りのバスの車内の想像では祖母は燃えていなかった。

しかし現実にはそんなことはありえないことは分かっていた。

どれくらい祖母の原型を留めているのか分からなかった。

心の準備をする暇もなく、「それ」は目の前に差し出された。

 

「それ」は全くもって味気ない様相を帯びていた。

もう祖母の印象を残すものは何も残っていなかった。

部屋の中に入った祖母と、部屋から出てきた「それ」を結びつけるものはほとんどなかった。

ほとんどの骨は欠けていたり砕けていたりして、人体模型のような完全さもなかった。

他の人の骨を差し出されても分からないと思った。

ただひとつ、足が悪かった祖母がつけていた人工関節が、膝の部分に残っていた。

それでようやく「それ」が祖母だということが分かった。

 

収骨のための部屋に案内された。

目の前に祖母の骨が並んでいた。

担当者がひとつひとつの骨を説明してくれた。

説明に従って、ひとつひとつの骨の形状をしっかり目に焼き付けた。

 

長い箸を持たされ、祖母の骨を足元から拾うように促された。

大きくて箱に入らない骨は箸で崩して入れるように言われた。

祖母の骨を崩すのは気が引けた。

なるべく小さな骨を選んで入れていった。

顔のところまできて、祖母の歯を見つけた。

まだしっかりと歯が残っていた。

その形を目に焼き付けて箱に入れた。

 

骨壷と箱と遺影を持ち、火葬場を後にした。

車内では、自分が祖母のように骨になるときを想像した。

骨になったら、もう他人の思いや言葉はどうやっても本人には届かないのだと思った。

そうだとすれば、自分がこれからの人生でやるべきことは何だ、と考えざるを得なかった。

 

家の近くの料亭に戻り他の参加者と合流した後、お寺に移動した。

お寺の中には初めて入った。

想像していたより立派な内装で、そこに描かれた極楽浄土に思いを馳せた。

お経をあげ終わった住職は、「人は死ぬと天国や地獄に行くという誤解があるが、そのどちらにもにも行かず、阿弥陀如来様の元へ行くのだ」という内容の法話を話した。

向かう先はどこでもいいから、祖母が安らかに眠ってくれることを祈った。

 

外の納骨堂に祖母の骨が納められた。

これから長い間、祖母はそこに眠ることになるのだと思った。

家から近いこの場所ならいつでも会いに行けると思った。

これまで遠く淡くあやふやな存在だった「ご先祖様」が、今回の件で手の届く範囲に近づいたと思った。

これからは敬虔な気持ちで祈りを捧げられると感じた。

いつでも祖母の顔を思い浮かべるだろうと思った。

 

 

 

祖母のように、骨になった自分の姿を今でも想像する。

その姿になるまでに自分が為すべきことはなんだろうか。

難しい問いを祖母は最後にぼくに与えていった。

さすがは先生だと思った。

最初から最後まで、祖母からは教えられることばかりだった。

 

出来の悪いぼくは、この宿題にうまく答えられるか分からない。

ただ、この問いを持ち続けることに意味があるのだと思う。

ぼくが死んだとき、祖母に会えたら、「あの宿題はぼくには難しすぎた」と笑って答える気がする。

祖母は同じく笑ってぼくを許してくれると思った。

 


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

この記事を書いた動機はいくつかあります。

まず、今回経験したことや考えたことを忘れたくありませんでした。

それは祖母からぼくへの最後のメッセージだと思ったからです。

また、この体験を記事という作品に仕上げることによって、自分の気持ちの整理ができるのではないかという期待もありました。

祖母の死後,ずっと何かを考え続けていましたが、「こういう姿を祖母は望んでいないだろう」と思い、前に進むきっかけがほしかったのです。

他にも様々な理由があり、次第に「この体験について書かなければいけない」という強い確信を持つに至りました。

書いてみて本当によかったと、感じています。

ではでは。

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