隠居という美しい引き際:東大中原淳教授の『「引き際」とは「舞台」を移動することである!?』を読んで

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中原先生のブログにおもしろい記事が載っていました。

関連記事:「引き際」とは「舞台」を移動することである!?:アスリート化する職業世界をまえに求められる!?「引き際の研究」

この記事の中で中原先生は、元ハードル選手で今はスポーツコメンテーターなどでご活躍されている為末大選手の現役アスリートからの引退の話を引き合いに出しつつ、以下のように述べています。

思うに「引き際」とは、それまで活躍していた舞台から「退くこと」を意味しません。

「引き際」とは、「次の舞台」を創り、「それまでの舞台」を退くことなのです。「舞台を降りる痛み」と、「新たな舞台を創る痛み」をともに感じつつ・・。

引き際が「人生の引き際」ではない限り、引き際とは「舞台」の移動なのです。

このブログのテーマである隠居とも深いつながりのある指摘です。

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隠居とは「人生における新しい舞台」である

隠居は狭義では若い現役世代に活動の場を譲り、自身は社会的な活動から身を引くことを意味しますが、それはただ社会という「それまでの舞台」から降りることだけを意味するのではありません。

隠居という「新しい生活の舞台」を創り、その舞台の上で人生を謳歌する取り組みです。

その取り組みに成功すれば、隠居後に画家として大成した歌川広重や葛飾北斎のような人生を送れるのでしょう。

関連記事:隠居とは「社会的評価」からの決別である|オモコロの「【まんが】新社会人よ、窓際を目指せ」を読んで

世に充ち満ちる「醜い引き際」

しかしこのような成功事例は数少なく、中原先生は世の中には「醜い引き際」が満ちていると指摘されています。

世の中には「醜い引き際」が充ち満ちているよね(泣)

要するに「しがみつく」
もう使命を終えているのにもかかわらず、新しい舞台を創ることをさけて、スポットライトのあたらない舞台から降りようとしない。

これは本当にいろんなところで見かける光景ですね。

60過ぎはもちろん、70や80を過ぎてもまだまだ若者に活躍の場を譲ろうとせず、既存の権威や立場にしがみついている人々をあちらこちらで見かけます。

俗に「老害」と言われてしまう人たちですね。

そういう人は「新しい舞台」を創る準備を怠った故に、今の舞台を降りるという選択肢を失った人なのでしょう。

本人にとってはそれでもいいかもしれませんが、社会全体でみると多くの可能性や機会を奪っているように見えます。

美しい引き際としての隠居を見据え、自分でデザインしよう

このような状況に陥らないためにも、若いうちから隠居の心構えをし、自分で隠居後の生活の準備を始め、デザインしていく姿勢が欠かせません。

現代は寿命も延び、隠居後の生活も長くなっているのですから、社会という舞台から降りたあとの長い人生を謳歌するためにも、若いうちから準備をしておく必要があるでしょう。

隠居について考えるときには、以下の書籍がおすすめです。

多くの気づきを与えてくれる本ですので、ぜひ。

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