隠居の本質は「ドロップアウト」や「脱サラ」と似ている:『大都会隠居術』を読んで

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今まで何度か参照しましたが、改めて、荒俣宏編著『大都会隠居術』の読書メモを残しておきます。

1989年初版の本なので、少し言葉づかいが古い印象を受けますが、そのまま書き残しますね。

【三行まとめ】

  • 「都会隠居」というスタイルのヒントになる短編を集めた短編集である。
  • 隠居の本質は「ドロップアウト」や「脱サラ」と似ている。
  • 江戸時代においては、”集めごと”、”習いごと”、”調べごと”の三つの分野で何かひとつずつ熱中していることがないような男は、ひとかどの大人、ひとかどの隠居になれなかった。

そんなわけで、ある日とつぜん、だれもが「生きること」に疲れ、老人に憧れるようになります。隠居したいと思うようになります。
なぜか?
わがまま自由に暮らす消極的方法が、老いそのものだからであります。

世のありさまの裏おもてをすべて知りつくし、もはやいかなる対象に対しても青春の活きいきとした夢を託さぬことであります。現世のあらゆる部分で実行されている厳密なルールをもった人生ゲームから、あっさり降りてしまうことであります。

いやそれどころか、わが日本では、自らすすんで心朽ちた老いの境地に至るための習俗があったのであります。何を隠そう、これすなわち、
隠居
であります。

隠居なることばの意味は、伝統的には、家督を子孫に譲って自ら第一線をしりぞくことと解されるようであります。

実は隠居の本質の一部は、一九六〇年代に流行したドロップアウトと同じものですし、いわゆる「脱サラ」の気分とも一致する点が多いのです。すくなくも、自由に生きる、という意味では。
しかし、隠居には、さらにもう一つの特徴が備わっていることを忘れてはなりません。それは何かといえば、「贅沢、わがまま」の要素があることだと思います。

かつての隠居はカルチャーそのものだったのでありますから。

都会隠居になるための第一ステップは、現在の自分をがんじがらめにしておる世のしがらみや義理の一切を捨てることから始まります。

実は、妻や仕事を捨てる方策には案外に簡単なものが存在いたします。
それは「逃げること」です。賭博でも趣味でも、何でもよろしいから、自分だけの娯しみに逃げこんで、周囲にはいっさい関心を向けないこと。

都会の隠居となって、雑踏のちまたを軽やかに、しかしあくまでも実在感をふりまかずに生きてゆくためには、<孤独>を愛することのできる精神の強靭ぶりを備えなければならぬ。
これはもちろん人間嫌いの性格ではない。人と交流せぬこと。雑踏のうちにあって、なお、孤高を貫徹することである。

実は、都会の隠居を身をもって実践した人物がひとりいる。永井荷風である。かれほど自由にわがままに、そして哀しい贅沢に浸って日々を生きつづけた男はいない。

都会隠居を実践する上で何よりの快楽とすべきものは、孤独なる自己と、孤独の成立を許さぬ群衆とのあいだに生じる神妙な関係であろう。真の都会の隠居は、この群衆のうちに身を隠し、群衆とともにいるからこそ果てしない孤独を味わうものなのだ。

そこで真面目に働くときは「道楽をするのと同じように」働くのである。これが都会隠居のダンディズムというものなのだ。

都会隠居は大の勉強家の別名なのかしらん。

大正大震災ののちに今和次郎や吉田謙吉の手で開始された考現学は、都市風俗の観察という面で、わが都会隠居の楽しみを発掘してくれた偉大な功績者である。

江戸時代、成人した大人たちのダンディズムを養成する要件としてつねに言われてきた要点が三つある。一に”集めごと”、二に”習いごと”、三の”調べごと”である。一はコレクション、二はお茶やお華、三は研究を意味する。これに加え、草花や金魚、ハツカネズミなどの飼育をたしなめば、その人はもう立派な贅沢生活びとだ。この三つの分野で何かひとつずつ熱中していることがないような男は、ひとかどの大人、ひとかどの隠居になれなかった。

ゴッホ
人は、どんな時でも隠者の風格を失ってはならない。でないと、人は自己の中に生活の根底がなくなるのだ。

読んでみての感想は、短編自体よりも、短編の間に書かれている紹介文からの方が学ぶことが多かったです。

挿入されている短編は、言葉が古すぎて&難しそうで読むのを諦めてしまうレベルです。

それでも気になる方は、以下からどうぞ。

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