20代のぼくが隠居を目指すようになった理由その5:執着するものがなくなった

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執着するものがなくなった

最近、執着するものがなくなっちゃったんですよね。

これまでやりたいと思ったことはある程度納得するまでやってきました。

スポーツに関しては、昔は「何かの大会で優勝するまでやめない」という目標を持っていましたが、それは達成できたので、もう思い残すことはあまりありません。

研究ではずっと本を書いてみたいという欲望があったのですが、実は現在共著の本を執筆中で、それも間もなく完成します。

そのため、現時点では「生きているうちにどうしてもこれをやってみたい!」と思えることがそこまでない状態なんですよね。

もちろん「美味しいものを食べたい」だとか「世界の絶景を心ゆくまで堪能したい」とかいろいろ欲望はありますが、「これを実現するまでは死ねない!」というレベルのものではないんですよね。

こんなことを書くと怒られそうですが、明日もし寿命がくるとしたら、案外すんなり受け容れられてしまうのではないかと思います。

「隠居」が最後の執着かも

最後にひとつ達成したいことがあるとすれば、このブログの主旨でもある「隠居したい」ということでしょうか。

社会的な制約から逃れ、気の赴くままに自由に暮らしたい。

十分に趣味や興味を満たしたい。

単なる若造のわがままかもしれませんが、これが本心なのだから仕方ありません。

ただ、とても時間のかかる目標

でも、これってものすごく高い目標だと思うんですよね。

隠居するには金銭的なハードルや社会的なハードルなど、越えなければいけない壁が無数に存在します。

それをひとつひとつ越えていかなければなりません。

そのためには長い期間と周到な準備が必要だと思うんですよね。

ぼくにとっては、スポーツの優勝などの方がよほど簡単なように思えます。

なので20代の今から、隠居に向けて粛々と準備したいと思います。

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